ココカラプロジェクトからココカラサロン始動!

ココカラサロン


ココカラプロジェクト座談会vol.1を開催。
乳がん宣告後、初めて味わう不安、迷い、決断の数々。どう向き合い、前に進んできたのか、2人の乳がん体験者に語ってもらいました。


2017年6月11日

ココカラプロジェクト座談会
vol.1
乳がんのある人生との向き合い方
~乳がん体験者が語る、告知、治療、その後の生活~



■日時:平成29年6月11日(日)13:00~

■会場:ホメオスタイル横浜 https://www.homeostyle.com/house/shoplist/yokohama/



お二人は、どんなきっかけで乳がんが見つかったのですか。
山田
会社の健康診断です。実は毎回、のう胞や乳腺症が見つかり再検査になっていて、一昨年の健康診断では乳がんの疑いがあると再検査に。細胞診を受けて乳がんと確定しました。
北林
私は右胸に張り感があり、しばらく放置していました。フリーライターの仕事をしているのですが、ピンクリボンイベントを取材する機会があり、医師の話を聞く中で「ひょっとして」と思い検診でお世話になっている病院へ行きました。マンモグラフィとエコー検査をして前回の検診画像と比較したところ、右胸は特に異常がなく、なんと左胸にがんの疑いがあると。




乳がんの宣告は、やっぱり衝撃的ですよね。

山田
私はそうでもなかったですね(笑)。なぜかというと、母が49歳で卵巣がんで亡くなり、私自身は毎回乳がん検診で再検査という結果。いつか「がん」が自分事になるかもという覚悟がありました。宣告された時は、「いつか来るものが48歳でやっと来たか」という感じです。ドキドキはしましたが、絶望感はありません。あとは、宣告後すぐに書籍などで自分の病状を調べ、ルミナールAというタイプのがんが比較的おとなしいとわかり、ステージⅠの早期発見だったことも慌てずに済んだ理由だと思います。
北林
私は山田さんとは正反対。がんは高齢者がなる病気で、死に直結すると思っていたから受け止められずその場に泣き崩れました。「何で30代の私が!? 私はもう死ぬんだ」と思い絶望感に襲われました。先生はおそらくステージⅠで標準治療をすれば十分治癒すると説明していたと思うのですが、まったく耳に入らず。乳がんであることと、手術が必要という言葉だけが耳に残り、「胸にメスを入れたら女性として終わってしまう。恋愛も結婚も、もう無理」と、女性性の喪失にも打ちひしがれました。

告知の受け止め方は、年齢や性格によって様々ですね。周りの方々の反応はどうでしたか。

北林
告知日の夜、母に伝えました。母は台所、私は食卓で夕食の支度をしていて、あえて顔を合わせず背中越しに。「乳がんと言われたけれど、初期だからたいしたことない」と。30代の娘からがんを告げられる親の気持ちを考えたらとても辛くて、あえて軽めに伝えました。涙はぐっとこらえて。父は旅行中だったので帰宅後に言いましたね。二人共、私の前では動じることなく受け止めてくれて心強かったです。
山田
私は同居中のパートナーがいて、彼がちょうど資格試験の前だったので、試験に影響がないよう終わった後に伝えました。食事中になるべく明るく、日常会話の一部として伝えた記憶があります。
北林
タイミングと伝え方は大事ですよね。親が高齢だったり病気だったりすると、自分の治療がある程度落ち着いた時に伝える方が、相手の心的ダメージが少なくて済む場合があります。面と向かって言うのが辛ければ、まずメールで大事な話があると伝え、それから対面で話すなど、1クッション&2ステップ作戦もあり。もし伝えられる状況なら伝えて、支えてくれる応援団を増やしてください。



北林さんは温存手術、山田さんは全摘で同時再建。山田さんは、大切な乳房を全摘することに迷いはありませんでしたか。


山田
母親が若くして亡くなったこともあり、不安要素をなくすために乳がんになったら全摘と決めていました。迷いはなかったですね。それに、がんが複数点在していて、重度の乳腺症があることもわかって。手術してみたら、さらに非浸潤がんが見つかり、全摘は必然だったと納得しています。

再建手術も即決でしたか。

山田
広背筋の一部を移植する自家組織による再建を考えていて、パートナーに相談しました。がんと関係ない背中を切って痛い思いをするなら、胸はなくていいと言われ悩みましたね。でも、今後仕事で嫌なことがあったり、彼とケンカしたりした時、ぺったんこの胸を見たら余計悲しくなるかもと思って。胸がないことぐらいで悲しくなる自分を想像するのも嫌でした。看護師の友人から言われた、「自分の体だから、最後は自分の意思に従った方が後悔しないよ」の言葉に背中を押されました。

インプラントと自家再建で悩むことはありましたか。

山田
インプラントは人工物を体に入れることに抵抗があり、10年毎にメンテナンスが必要で、年齢を重ねて再手術することにもためらいがありました。身近でインプラントによる再建をして不満が残った人の話を聞いたこともあって。医師には自家再建は背中に傷が残ると言われましたが、背中が大きく開いたドレスを着る予定はないし、温泉でもそんなに体を見る人はいないだろう。だったら自分の体の一部を移植した方が自然だと思い自家組織による再建を選びました。一つ言うなら周りに自家再建した人がいなかったのが残念、情報として生の声が聞きたかったですね。
北林
がんは治る病気になってきている今、治療後その体で生きていくというのが一つの課題。自分らしく生きられる治療法を選ぶことが大切になってきています。「自分で決める」という山田さんの選択は、素晴らしいですね。

情報収集について北林さんからアドバイスはありますか。

北林
大量の情報が簡単に手に入る今、情報の"質"を見極めて。私が思う質のいい情報は、エビデンスがあるものです。誰が、どんな目的で発信しているか、信頼性、公平性、客観性があるか判断するべき。中には商業ベースの情報もありますから。私が参考にしたのは、書籍では乳がんのAtoZがわかる「患者さんのための乳がん診療ガイドライン」(日本乳癌学会編)、ネットではがん情報サービス(国立がん研究センターがん対策情報センター運営)。専門家と話がしたい場合は、がん診療連携拠点病院にある相談支援センターを利用するのもいいと思います。

北林さんは病気になる前から、ある程度の情報を持っていましたか。

北林
病気は他人事と思っていたので全然。告知の際にあんなにも動揺し、自分を見失ったのも、乳がんに関してあまりに無知だったからだと、後になって思います。がんと言われたら誰もが動揺すると思いますが、正しい情報があれば、それは自分を守り正しい判断に導く手助けとなってくれるはず。できれば健康なうちから自分の健康に関心を持ってほしいですね。これは防災と似ていて、たとえば平時にライフラインが止まった時の対応策を知っておけば、いざという時に慌てずに済む、そんな感覚です。

入院中の気持ちの浮き沈みはどうでしたか。自分なりの向き合い方を教えてください。

北林
入院は4日間と短く、術後の痛みも少なかったので比較的安定して過ごせました。
山田
私は同時再建をしたので入院期間は2週間。術前は前向きだったけれど、術後心境が一変。痛みがひどく、昨日と違う体になってしまったと感じ、全摘・再建という選択を唯一その時だけ後悔しました。なんて選択をしたんだろうって。でも、これは悩んで自分で決めた結果、間違っていないと自分を叱咤して前を向きました。もう一つ辛かったのは、この痛みが医師に伝わらなかったこと。医師曰く「手術は成功です」の一点張りで。形成外科の先生に術式の再説明を求め、頭で理解することでやっと納得しました。あとは、看護師さんがよく話を聞いてくれて、「同時再建をした他の患者さんも、同じ痛みがあったよ」と言ってくれたことで安心しました。同じ女性である看護師さんはよき理解者、たくさん活用するべきですね。

山田さんは入院中にもフェイスケアを欠かさなかったとか。

山田
私が勤務するエステサロンで扱っている、ホームエステ用の美顔器を病室に持ち込みました(笑)。痛みが和らいだ頃から使い始め、朝食までの間にパッティングをしてメイクもきちんと。日焼け止めも忘れずにね。お手入れをすると気持ちがスッキリ、前向きになれるんです。
北林
いつもやっていることを行うと、心の安定を保つことにつながりそうですね。

退院後は、安定して過ごせましたか。

山田
実は退院後、改めて「自分はがんになったのだ」と強く実感し、急に怖くなった瞬間がありました。入院中は私が乳がん患者ということを、周りの誰もが知ったうえで接してくれています。退院直後スーパーに行った時、「ここにいる人は誰も私の状況を知らないんだ、私はこの人達とは違うんだ」と気づいてしまって。軽いパニック状態に陥り安定剤を服用しました。数週間は人混みや電車通勤が怖かったですね。
北林
術後の経過は順調、体調はよかったものの心がついていかなくて。告知のショックを引きずり、「再発するかも、今度は違う病気にかかるかも」という強迫観念がずっと続きました。どうやって克服したかと聞かれますが、3年ぐらい続きましたから(笑)。特効薬はありませんでしたが、「時間」というのはいいお薬で、時間の経過と共に不安と折り合いがつき、それも人生の一部と思えるようになりました。術後、放射線療法をしましたが、放射線を照射した左胸が赤黒く焼けてしまって。でも照射後、数ヵ月で皮がむけて皮膚が再生してくるんです。肌色の皮膚が見えた時、自分の中の治る力を実感し、頑張っている体をもっと大切にしようと思い、その体験は前を向くきっかけになったと思います。

北林さんは、心の支えになった言葉があるそうですね。

北林
私が手術をしてもらった湘南記念病院乳がんセンター長の土井卓子先生の著書に、宝となる言葉を見つけました。『手術が終わったら、自分の傷を大切にして愛してあげてください。生きるために戦った名誉の負傷だと思います。傷跡を見ないように生活するのではなく、入浴したら清潔に優しく洗い、保湿して、マッサージして、運動をして肌を伸ばして傷跡がきれいになるようにしていきましょう。(中略)失ったものを悩むより、そこから美しく素敵になるための努力を始めましょう』(「乳がんと言われたら読む本 治療・生活・食事・ケア」蕗書房)。左右非対称になった胸を、今は愛しく思えるようになりました。

乳がん宣告から山田さんは約1年、北林さんは8年。乗り越えて思うことはありますか。

山田
私は昨年12月に手術をしてまだ痛みがあり、ホルモン療法も継続中。治療は現在進行形で、まだ乗り越えたという感覚ではないですね。この経験から得たものは、真剣に自分の体と向き合うようになったこと。改めて生活習慣を見直し、体を大事にするようになりました。
北林
昨年9月にホルモン療法を終え、今は元気です。精神的に辛い日々でしたが、若いうちに生や死という概念と向き合えたことで、今後の人生を考えるきっかけになりました。乳がん体験者コーディネーターという資格を取り、この経験を人のために生かしたいと思え、乳がんは悲劇から貴重な経験、財産になりつつあります。元気になるスピードは人それぞれ。ゆっくりでもいいのだと思いました。

日本女性の11人に1人が乳がんになる今、周りの人が患う可能性もありますね。
身近な人から乳がんの相談を受けたらどうすればいいですか。


北林
いいことを言おうと構えなくて大丈夫。相手は話を聞いてほしくて打ち明けてくれているので、あなたは一人じゃないということが伝わるよう、聞く姿勢、よりそう気持ちを大切に。アドバイスは求められたらできる範囲で行って。不安の解決より解消、吐き出すことで少しでも楽になってもらえれば、それでいいと思います。
山田
私は、相談した相手の言葉で傷ついた経験があります。言葉に迷ったら「何もできないけれど、何でも言って」という一言でいいと思う。自分を受け入れてくれる場所があることが、相手にとっての救いになるはずです。

最後に、乳がん体験者のお二人から検診についてメッセージをお願いします。

山田
会社に勤めている人は、会社の健康診断があるので検診を受けやすいと思います。フリーランスや自営業の方は、自主性が必要なので受けていない方も多いですね。でも年に一度、誕生日月に行くなど自分の中で約束事を決め、検診に行ってほしいです。体を見直すきっかけになるし、命を守る手段でもあるから。
北林
自分の将来を考えたとき、やりたいことがたくさんあると思います。仕事でのステップアップ、結婚、出産、もっと旅行に行きたい等々。そうした夢のベースとなるのが健康です。充実した将来を過ごすためにも、検診に行ってください。

今日はありがとうございました。
ファシリテーター 金沢博恵


 
 
【プロフィール】



山田三沙子 (Misako Yamada)
ひとの「美しくなろうとする力」に着目する総合美容ブランド、「ホメオスタイル横浜」店長。48歳でステージⅠの乳がん宣告を受け、全摘手術と同時に背中の皮膚、脂肪、広背筋の一部を移植する自家組織による乳房再建を選択、現在は働きながらホルモン療法を継続中。美容のプロとして27年のキャリアの中で培った知識と、乳がん体験に基づき、女性を美と健康の両面から支え、輝かせるエキスパートとして活動中。

北林あい (Ai Kitabayashi)
フリーライター・乳がん体験者コーディネーター(BEC)・ピンクリボンアドバイザー(中級)。37歳で乳がんを告知され、左胸の温存手術、放射線療法を経て、昨年ホルモン療法を終える。現在は、医療・ヘルスケア分野を中心に取材・執筆活動を行いながら、ココカラプロジェクトメンバーとして検診啓発活動や、鎌倉・湘南記念病院乳がんセンターで乳がんと向き合う患者とその家族の支援活動に取り組んでいる。